研究概要 |
平成3年度の研究では、これまでの幻想文学研究の出発点とされている、トドロフの「幻想」ジャンルの定義を再検討し、トドロフが主張するように、起こった事件が日常的性格のものか、あるいは非・日常的性格のものかが未決定のままであるという点に「幻想」の本質を見るのではなく、小説世界自体の「本当らしさ」が疑われる点、すなわち「小説世界が日常的世界であるか、それとも非・日常的世帯に変容してしまったのか」主人公が判断できないという点に、「幻想」の本質をおく代案を提出し、その代案の優越性を例証した。 この代案の帰結として「幻想」は、生起する事件の性格よりも、むしろそれを体験する主人公の認識に関わるものとなる。つまり「幻想」は、主人公の認識の揺れ、不安から、ついには狂気にいたる、内面の葛藤の物語として表現される場合に、もっとも説得力を持って描かれ得るのである。この観点から、「幻想」のテーマが、客観的なリアリズムに適した三人称小説よりも、個人的真実を語る一人称小説という形式において、もっとも「信憑性」を獲得することを、具体的な作品に即して考察した。 そして、特にこれら一人称幻想小説では、Maupassant,Le Horla第2稿で、日記体小説という形式が選ばれた事にも見られるように、語りの部分で現在時制が非常に大きな位置を占めていることが観察される。この事から、一人称という形式が「幻想のリアリズム」を担う事ができる理由は、一人称小説が主人公の直接的体験を主観的に語るという点だけにあるのではなく、自らに起こった事件に対する主人公の意味付け、判断の水準が、小説世界の中に、未完結のまま含まれている点にあることを示した。
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