世紀転換期のアメリカ合衆国、特にその北西部のワシントン州シアトル地区の労働運動の日系人労働者に対する姿勢を、その機関紙であったシアトル・ユニオン・レコ-ド紙の記事を分析することによって明かにし、その結果を裏面記載の論文にまとめた。要点を述べると以下のごとくである。 1.20世紀の初頭に、ユニオン・レコ-ド紙は多数の差別的、排外主義的な記事を掲載して、日系人移民を排斥していた。1907年にカナダのヴァンク-ヴァ-で発生した反日、反アジア人暴動の直接の契機となったのは、シアトルから出かけた労働運動指導者の煽動であった。彼らはまた、カリフォルニア州の労働運動指導者と協力して、アメリカ労働総同盟内部における日系人排斥運動を推進した。 2.その頃シアトルの一部の日系人は、自ら組合を結成して日系人労働者の労働条件の改善を図るとともに、アメリカ人労働組合に協力を呼びかけた。しかしこれに対するシアトル労働運動関係者の反応は冷たかった。 3.1913年頃のユニオン・レコ-ド紙の論調はやや穏健になり、極端に差別的な記事は少なくなった。しかし基本的な立場は変わらなかった。当時問題となったいわゆる排日土地法問題に関してユニオン・レコ-ド紙は、カリフォルニア州議会の日系人の土地所有や借地の権利を剥奪するという決定を支持する論説を掲載した。 4.当時のシアトルで日系人の権利を擁護するという姿勢を示したのは、バ-ク判事に代表される親日的実業家と、黒人向け新聞のサ-チライト紙であった。サ-チライト紙は、同じ被差別人種として黒人は日系人を支持すべきであると主張した。
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