昨年度入手した資料の分析を引き続き進めるとともに、今年度入手した資料、特に西部諸州の労働総同盟(St ate Labor Federations)大会議事録のマイクロフィルムの分析に着手した。もっとも、入荷が予定より遅れたこともあって、このマイクロフィルムを十分に利用した業績はまだ完成に至っていない。今年度に脱稿に至った業績は裏面記載の通りであるが、これは主としては昨年度から今年度の前半にかけて入手した資料に基づいて執筆したものである。「ゼネラル・ストライキ後のシアトル労働運動」という論文では、合衆国の諸地域、諸都市の労働運動の中で、ワシントン州シアトル市の労働団体が最初に日系人社会との間で友好関係を樹立したという事実に注目し、その理由を日系人の側の努力と同時に、当時の合衆国の労働運動の中ではむしろ異端と見られていたシアトルの労働運動の特質に求めるとともに、そのようなシアトル的特質が、1920年代前半の政治、社会情勢の変化の中で失われていく過程を追求した。今一つの「ブッチャーズ・ユニオンと北米日本人会の往復書簡」は、日系人労働者の加入を認めることを決定したブッチャーズ・ユニオン(正確には北米食肉切断工屠殺労働者合同組合)と北米日本人会との間の往復間簡の翻訳、ならびにその解説である。すなわち、この件に関するユニオンから北米日本人会への協力依頼である第1書簡、これに対する北米日本人会の問い合せである第2書簡、ユニオンからのこれに対する返答と再度の依頼を内容とする第3書簡、ならびにまもなくこのユニオンに加入して日本人支部を結成した日系人たちから日本人会への書簡を、翻訳し紹介するとともに、そのような書簡がやりとりされるに至るまでの事情を解説したものである。
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