1.19世紀後半から20世紀初頭にかけての合衆国北西部ワシントン州、特にシアトルの労働団体は、合衆国の他の地域の労働団体同様、ほぼ一貫してアジア系移民を排斥し、差別していた。1885年-1886年には当時有力だった労働騎士団の扇動によって反中国人暴動が発生した。その後これにかわって有力となったアメリカ労働総同盟系の労働団体も、その機関紙たる『ユニオン・レコード』紙の記事を分析すると明らかなように、反日系人運動を積極的に推進した。 2.そのような中で一部の日系人は、自ら組合を結成して日系人労働者の労働条件の改善を図るとともに、アメリカ人労働組合に協力を呼びかけた。このような日系人の側の努力、およびシアトル労働運動の中で急進派が勢力を強めたこともあって、第一次大戦直前になると、日系人に対する労働団体の態度はわずかながら好転していった。 3.1919年にシアトルでアメリカ史上初の本格的ゼネラル・ストライキが発生した。この時日系人社会はほぼ一致してこれに協力する姿勢を示した。このことが労働団体の日系人に対する態度を大きく変化させる契機となった。かくしてブッチャーズ・ユニオンのように積極的に日系人の組織化に取り組む労働団体も出現した。しかしながら、その後まもなくシアトル労働運動における急進派の勢力が衰え始めた。そして、それは同時に排日の気運の増大を意味した。 4.当時シアトルでは『サーチライト』という黒人向け週刊紙が発行されていた。この新聞は日系人の立場を擁護し、日系人と黒人の連帯を主張していた。またシアトル労働運動の急進派を支持していた。
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