研究概要 |
前年度の調素研究のより,飛騨帯に広く分布する中生代前期花崗岩類に関する従来の一般的見解,すなわち「それらはジュラ紀に一斉に形成され,岩相上後期の船津型と早期の下之本型に区分される」という概念をくつがえす見通しを得た。本年度はこれを実証するため,調査地域を船津・下之本両岩体の模式地である神岡鉱山東方(船津地域)にしぼって精査を行なった。その結果,次の結論を得た。 (1)下之本岩体の構造は大きな半ベーズン状をなし,岩体の周囲には著しくホルンフェルス化した細粒花崗岩がとりまく,(2)細粒花崗岩と船津花崗岩は漸移しこれらを下之本岩体が分布・構造の上で切っている,(3)船津岩体及び旧期の花崗岩類と下之本岩体(新期)の間には構造的ギャップがあり,圧砕作用をはさんで多分前者は三畳紀,後者はジュラ紀に形成されてと考えられる。 こうした区分は,単に飛騨帯の花崗岩活動を正確にした,ということのみにとどまらない。三畳紀の花崗岩は飛騨帯の各地域にかなり広く分布する。この年代は宇奈月帯の変成作用の年代に対応し,同変成作用が飛騨帯全域に及んでいたことを示唆する。さらに東アジア全域における花崗岩活動との対応を考えると,旧期岩体は多分古生代末〜三畳紀のインドシナ期花崗岩に,新期岩体はジュラ紀以降の燕山期花崗岩に対比できる。このように飛騨帯には,アジア大陸における大きな花崗岩活動の変換点を示す現象が存在し,それが何故起ったかというこをより精度を高めた形で議論できる下地を作ることができた。
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