今年度は、主として昨年度来継続して行っていた【.encircled1.】東福寺・建仁寺の近世の境内構成の復原作業とそれにもとづく塔頭地の形成過程の検討、【.encircled2.】および天龍寺の創立前後から塔頭地が拡大して広義の天龍寺境内が形成される過程を、天龍寺所蔵の「往古諸郷館地之絵図」「臨川寺領大井郷絵図」「応永欽命図」などをもとにして検討を試みた。【.encircled1.】については、塔頭次第・塔頭譜などの記録、その他の文書を参考にしつつ、各種の境内地図を作成しそれを読み取ることで塔頭地の形成過程をある程度明らかにすることができた。その結果として本寺と塔頭は、場所設定の原理が異なるものであること、ほんらい塔頭は本寺とは緩やかな関係をたもちつつも、本寺とは分離して寺地を構成し、中心となる塔頭を核にしてその周辺二後続の塔頭が増殖し、最終的には本寺と塔頭地が連続して一円的な境内地が形成されたことを明らかにできた。ただし、この作業は中性関係の史料がすくないことから一定の仮定を前提にせざるを得なかった。そこで上の結論の妥当性を検証する目的もあわせて、同時代資料である上記諸絵図にもとづく初期から全盛期にかけての天龍寺の塔頭地を中心とする境内地の形成過程を検討した。その結果は東福寺・建仁寺の結果と軌を一にするものであり、仮定にもとづく検討結果が不当なものでないことを明らかにできた。ここから禅宗大寺院の境内の景観がどのような原理で構成されているのか知られ、塔頭建築の性格づけを深めることができると予測している。
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