本研究は京都の臨済宗本山寺院とくに旧五山寺院を対象にして、それらの近世時の景観復原としての復原地図を作成することを、そしてそれを基にして建築遺構を見直すことを目的としたものである。景観復原は、主として当該寺院にある近世の取調差出図をもちい、その記載内容を現在の地図の上に重ね合わせて復原地図を作成することで行った。東福寺、建仁寺、天竜寺、相國寺については寺域全体の近世後期の復原地図を、妙心寺については中心部分の近世前期の復原図を作成した。そこから近世期の大禅刹の境内構成の特徴として以下の4点が指摘できる。 (1)境内地は閉鎖的な構成になること (2)境内進入路は本寺伽藍の軸線とは一致しないこと (3)境内内部では塔頭に接続する非計画的な形の内路を形成すること (4)閉鎖的な境内地である結果として、境内の内路は袋路になること ついで、こうした特徴は、中世期における境内構成とくに塔頭地の形成過程のなかにおいて形成されたものであることを明らかにした。すなわち初期の塔頭地は、一般に本寺とはやや離れた場所に作られた門派の親塔頭を核として、それを中心にして子塔頭がその周囲に建って、同門派の塔頭群による小地区として形成されている。こうした小地区の複合体として本寺周辺の広大な境内地が形成されたのであり、そのことが上のような特徴をもたらしたと考えられるのである。そうした形成過程の結果が近世の境内構成に投影されているのであり、近世の復原境内図は中世の境内に通じるものが多いと考えることができる。 このように本寺地と塔頭地は形成過程を異にし、それぞれが別種の空間に属すのであるから、そのことを前提にして禅寺内の建築は評価されねばならないことになる。
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