研究概要 |
連合軍総司令部(GHQ)民間情報教育局(CIE)教育課の課長補佐(1946年夏ー1952年夏)であったJoseph C.Trainorが米国スタンフォード大学フーバー研究所公文書館(Hoover Institution Archives,Stanford University)に託したトレイナー文書(Trainor Paper)を初めとして、ホームズ文書(Holmes Paper)を加えて手紙やインタヴューによって収集した情報を主な資料として現在、第二年目の研究を行なっている。 教育改革の方法、範囲、内容を具体的に明らかにしていく上で、GHQ教育課、文部省、教育刷新委員会などの関係を、より明確にする必要がある。 1946年3月に米国第一次教育使節団が来日し、報告を行なっているが、その主内容の一つに高等教育は少数者の特権ではなく、多くのものに機会が与えられねばならないこと、総合大学の数を増加させる基本的な計画が立てられる必要性が述べられている。戦前には日本の大学設置の認可は、文部省の権限の下におかれており女子大学に認可が与えられなかったが、新制大学の設置にあたってCIE教育課、高等教育担当のルル・ホームズ(Lulu Holmes)は、全国的な組織としての大学基準協会を設立し、大学設置基準に適合すれば女子大学であっても、文部省が認可を与えなければならない仕組みを創り出した。 1947年4月CIE教育課へ着任したウォルター・イールズ(Walter Eells)は、ホームズやそれまでの教育課の方針とは異なった旧制専門学校を短期大学にしようとする短期大学構想を持ち出し、教育課内での政策の企画、遂行に混乱を持ち込み、お茶の水女子大学等国立大学を含めて、創設準備ができた大学を順次スタートさせて行こうとするCIEの政策に対して、文部省の1949年国立一括スタート案に加担したりした。
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