本研究では、横浜中華街・神戸南京町・長崎新地中華街の3地区の中華街を研究対象に、それぞれの地区において、わが国における中華街の観光地化の進展とその意義について考察を行った。本研究は2年計画で実施し、現地調査を重点的に行うとともに、本補助金で購入したパーソナル・コンピュータにより、収集した関連文献のデータベースを作成した。 今日、横浜中華街を筆頭に、日本中華街は、いずれも当該都市における重要な観光地となっている。これら中華街の変遷をみると類似した特色がうかがわれる。 日本におけるチャイナタウンは、第二次世界大戦の空襲で灰じんと化したが、終戦直後、やみ市としてすみやかな復興を遂げた。その後、朝鮮戦争を経て、アメリカ兵や外国船員相手のいわゆる「外人バー街」となり、歓楽街としての性格をもっていた。しかし、チャイナタウンの観光地化の進展に伴い、中国料理店を中心に、中国物産、民芸品、中華菓子などを販売する店舗が多数出現し、中華街の来訪者数は増加している。 中国文化の伝統を、観光資源として積極的に利用したチャイナタウンの観光地化は、在日華僑の日本社会への最も特徴的な適応形態であろう。また、日本におけるチャイナタウンは、日本人が抱いてきた中国イメージが具現化された街であるともいえよう。
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