明治時代中頃に始まった日本人の海外移住は、国内事情と受け入れ国の状況を反映し移住先を変えながらも、第二次世界大戦前を通じて継続した。海外の日本人移住地でもっとも重要な経済活動をなしたのは農業であった。特に日本人移民が多かったアメリカ合衆国のカリフォルニア州やブラジルのサンパウロ州においては、農業発展に果たした日本人移民の貢献は高く評価されている。移民農業の展開を検討していくと、彼らの成功の基盤となったのは民族的な協同の精神であり、それに基づいた農業協同組合の組織と活動であったことがわかる。そうした農業協同組合の思想は、移住によって産業組合運動が展開されていた当時の日本から移住地に移植されたものである。本研究では、農業協同組合の思想が海外移住地へ伝播していったプロセスを検討し、それがカリフォルニアとサンパウロという異なった農業社会のもとで、どのように適用され、どのような機能を果たし、そしてどのように変容していったかについて解明し、さらに、そうした考察に基づいてカリフォルニアとサンパウロの日系農業社会の特質について考察を試みることを目的とした。基礎的な文献資料の収集が進んだことは大きな成果であったし、農業協同組合の移植と変容に関して特に大きな成果が得られた。日本人移民の協同の精神は、カリフォルニアにおいてもサンパウロにおいても、移民農業社会の発展のための重要な適応戦略となったが、移住地の自然環境、社会環境、農業の伝統、経済構造などに大きな差異がみられたため、異なった形態で展開され、さらに、移民農業や移住地の状況が変化するにつれて、徐々に変容していったことが明らかになった。また、農業の観点からカリフォルニアとサンパウロの比較研究をさらに進めることは、文化地理学にとって重要な課題であることを認識することができた。
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