平成4年度は調査地区を坂出と今治両地区とした。両地区共に公共職業安定所の協力を得て、昭和61〜62年度の「特定不況業種離職者の求職手帳発給台帳の閲覧を許された。プライバシーにかかわる部分を除外した転写及び複写を認められたので、そのための調査研究旅費と資料整理の謝金が予定より多くなった。坂出地区の川崎重工業坂出工場は、昭和54年度の設備処理による退職者の方が多く、昭和62年度には約800名でうち600名が坂出職安管内で求職していた。再就職先は、建設業関係と運輸業関係が多く、就業地も坂出管内が多く、自己完結型であった。ガードマンや職業講習を受けた造園業への転業もみられた。しかし、再就職先紹介を示す求職表は、坂出では廃棄されていためめ、前年度調査の相生・因島と同時限の比較検討はできなくなった。造船所は不況時には車輌製造を行って生産内容を多角化していた。 今治地区には、中型造船所の今治造船本社工場、来島ドック、波止浜造船、浅川造船等が集中していて、造船不況時の人員整理に対する施策も異っていた。今治造船は本工員の退職者を出さず、社外工を削減することで不況を乗り切る方法をとった。これに対して、他の中小造船所では、不況時には本工員も含めて数多くの退職者を輩出している。今治職安を通じて、昭和60〜62年度に求職手帳の発給を受けた者が1850名いたが、このうち669名は島嶼部の生名・弓削・岩城・伯方島などに住む者で日立造船因島工場に関係する人々であり、因島職安に移管されている。残りの1151名中992名を求職表により再就職先を検討してみると、タオル工業への転業が数多くみられた。今治地区では、タオル工業と造船工業の間に補完関係がみられ、お互の不況時には転職者を受けいれあっている形態が多くみられた。社外工の中には、一担退職した後に臨時工として同じ下請の組に再就職している例も数多くみられた。
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