研究概要 |
日本の造船工業は第二次世界大戦後に安定した成長を続けてきたが、1973年秋の石油ショックを契機に、長期の深刻な構造不況に直面した。とくに、石油タンカーを中心とする大幅な船腹過剰により、船舶建造の需要の激減は世界的な造船不況となった。こうした構造的不況の中、日本造船工業は運輸省の指導の下で1980年3月末日までに、特定不況産業として約35%の第1次設備処理削減を行った。その後も造船不況は継続したため、第2次設備処理削減約20%が1988年3月末日までに行われた。 まず、第1次の設備処理により、造船工業は大都市型工業から撤退しとくに京浜・阪神の主要造船所で新造船部門が閉鎖された。第2次設備処理により、瀬戸内地区の伝統的造船所である相生や因島から新造船部門が消えたのである。 この研究では、相生と因島を中心に(1)造船所の生産品目の変化,(2)退職従業者の転業実態調査,(3)下請関連工場の変容の3指標を中心に追求分析を行った。その結果、石播相生事業所では45歳以上の退職者の再就職率が極めて悪く、前職と再就職先の賃金差も大きく、なかには半分程度になった者もいた。職業講習を受けて調理師や造園業の免許を取得した者も就職先は少なく、建設業やガードマン等への再就職が目立った。 今治地区の例では、タオル工業への転業が多く見られ、タオル工業と造船工業の相互補完的な関係がみられた。因島地区では、島外へ転出した者のUターン就職が見られるようになり、1993年になって少し安定した就職状況となっている。相生・因島両地区共に親工場は造船所内に別の子会社を設立して、会社経営のリストラを図っている。 下請関連工場は、他産業に転換した所が多くみられ、ハイテク産業やレジャー産業への進出もみられた。
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