本年度は、「日書」のデ-タベ-ス入力を踏まえ、以下の六篇を発表することができた。1.「評 秦簡整理小組『天水放馬灘秦簡甲種』《日書》釈文』、何双全『天水放馬灘秦簡甲種《日書》考述』」は、秦簡「日書」との関係で注目される天水秦簡「日書」甲種釈文とその概要に関する何双全氏の業績を論評したものである。2.「『日書』の風景ーデ-タベ-ス化による先秦社会の諸相ー」は、雲夢秦簡の中で「日書」が如何なる資料的位置を占めているのかを、その用字傾向により明らかにし、さらに王候や官僚制に関する語彙を分析することにより、「日書」に現れた国家像を浮き上がらせた。3.「『日書』より見た秦人の神々の観念とその占いの方法について」は、「日書」に見える天文思想を分析した楊氏の論文を翻訳し、末尾に注と解説を施したもの。なお、この論文はこの翻訳が初出である。4.「雲夢秦簡《日書》与秦史研究」は、昨年9月に山東省泰安市で開催された中国秦漢史研究会第5届年会・国際学術討論会で発表したもので、従来の私の雲夢秦簡研究を総轄紹介したものである。5.「雲夢睡虎地秦墓秦簡に見える県・道嗇夫と大嗇夫について」は、直接「日書」を対象としたものではないが、「日書」研究の成果に基づき、戦国秦が在地社会に根を張る旧県の支配層を如何にして取り込んだか、という問題を明らかにしたものである。6.「禹の変容と五祀」は、すでに明らかにされている行神としての禹が、さらにその後の民俗社会で如何なる神として現れているかを、「日書」や馬王堆帛書「五十二病方などにより検証したもので、その結果、嫁娶の吉凶にかかわる禹、治療者の神としての禹、アジ-ルの神としての禹、などの局面が明かとなり、民俗宗教としての禹の信仰に新たな光を当てることができた。今後、さらにこのような民俗面の問題を明らかにすると共に、緯書との関係にも注目してゆきたい。
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