支謙訳仏典群に見られる中国化の実証的解明及びその思想史的意義づけ(取意)というのが、テーマである。支謙訳の二十二漢訳の中でも、パーリ語系原典のあるものは、佐藤義博が担当し、サンスクリットとチベット語関係の原典のあるものは、朝山幸彦が担当した。二十二漢訳すべてを考察することはできなかったけれど、パーリ語関係では、「論語」や「老子」との変容関係の見通はつけることができた。それは佐藤の一連の論稿に表れているが、特に全漢訳をパーソナルコンピューターに、打ちこんであるので、当時までの漢籍との比較考察は、益々進めうることであろう。サンスクリット、チベット語関係では、大阿彌陀経、維摩詰経、大明度経それに阿彌陀浄土言及の七漢訳についてはとり扱った。般若系、浄土系の大部の経典は一わたり見わたすことができたが、華厳系が手つかずであった。その結果、中国側の典籍は、漢書、尚書、礼記のような一般歴史書と、老子や荘子、論語や孟子それに中庸大学等の引用影響が明らかに見られ、法家系の連関も支謙訳仏典間の連関も問題となってきている。漢魏叢書の全般との連関までには至らなかったけれど支謙訳出の変容補削の顕著なる傾向は抽出できた。その傾向は、【.encircled1.】統治的倫理性の強化ないし王制秩序維持への配慮、【.encircled2.】実体主義的ないし構造的変容-特に空思想の局限化の特色、【.encircled3.】現実的理解ないし現在利益的改変が認められた。その上、支謙の伝歴や社会背景と訳出変容の関係も考慮すべきであることも分かった。インドの関係主義的思想を実体主義的に中国化した点は、現代的視点からも注意すべき現象であろうか。 思想史的意義については、中国思潮主流の主知主義的基盤に立ち、存在解体を局限化していることは、支謙訳の特色であるばかりでなく、東アジア文化圈の大きな特色であるという仮設を立てることを可能にしたといえよう。
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