教育の分類として、しばしば家庭教育・学校教育・社会教育の3つがあげられる。今日では、子どもの成長過程にしめる影響力では、学校教育の比重が、著しく高くなっていることは周知のとおりである。もちろん他の2つが無視されてよいはずはなく、この3者がそれぞれ有機的に機能しあうことによって、子どもの健全な発達が可能となる。このうちとくに今日では社会教育は、子どもをとりまく教育環境から、たえて失なわれてしまっている。本研究は、徳川社会の日本において、子どもをとりまく地域社会の教育が、いかなるものであったかを、五人組制度に着目して、とらえなおすことを意図している。従来学会であまり注目されることのなかったテ-マだけに、関連研究が乏しく、萌芽的研究の初年度にあたる本年度は、基本的な史料・文献の調査収集と、このテ-マの背景となる徳川期教育の再検討、とりわけ地域における教育機能を、武士階級の子弟によって営なまれた集団訓練に焦点をあわせて研究をすすめてきた。調査した機関は、長野県立図書館・長野県史編著室・松本市立図書館・岐阜県立図書館・大垣市立図書館・鶴舞図書館・京都府立総合資料館・福岡県文化会館・福岡市立歴史資料館などである。収集した文献は、『長野県史』近世・近代史料編全39冊、『村の生活の記録』全2冊をはじめ、図書・文献・史料コピ-など厖大な量である。現在その整理・解読・合析の作業をおこなっている。あわせて近世教育の再検討・再評価のテ-マ等にとりくみ、その結果を、『“学び舎"の誕生ーー近世教育とその余慶ーー』(仮題)としてまとめ、平成4年6月項公刊する予定である。
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