本研究では、世紀転換期におけるイギリス帝国体制の転機となった第二次ボ-ア戦争と、帝国最大の植民地インドとの相互連関性を、軍事・外交的側面から解明することを試みた。 具体的には、ボ-ア戦争期における「帝国拡張の尖兵」インド軍の海外派兵問題を媒介項として取り上げた。まず、インド軍の海外派兵原則が議論された。インド財政をめぐるウェルビ-委員会報告書を検討し、陸軍力の運用面から帝国が大きく三区分されることを明らかにした。次に、イギリス議会報告書を手がからりボ-ア戦争時の帝国軍事動員体制の実態を考察し、意外にもインド軍の動員は、少数の非戦闘要員に限定されたことを明らかにした。さらにその事情を考察するため、イギリス本国及びインドの世論の動向、本国政府・陸軍当局の意向等を各種新聞や内閣文書等を参照しつつ考察し、ボ-ア戦争がアジア地域での兵力動員、特に中国での義和団事件と連動している実態を明らかにした。 その結果、以下の暫定的結論を得た。(1)ウェルビ-委員会報告書に明示されたように、当該期のインド軍はアジア・アフリカ地域における帝国拡張の戦力としてその戦略的役割が強化され、自治植民地の軍事協力により補完される軍事動員体制が形成された、(2)ボ-ア戦争での限定的なインド軍動員の背後には、「白人の戦争」という神話の温存をはかる覇権国家特有のイデオロギ-である、人種差別意識(人種主義)があった、(3)それと対照的に、「非公式帝国」中国の義和田事件へのインド軍の大規模な動員は、動揺する覇権国家イギリスの危機感を反映していたといえる。 今後の研究課題としては、ボ-ア戦争直後の軍制改革をはじめとする帝国体制変換の試みとその挫折、および第一世界大戦とインド軍との関連を考察する予定である。
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