現在見られる鴎外文学についての研究には、たとえば翻訳と原典との比較文学の対象研究があげられるが、そこでは異同のみが論じられ、その翻訳が鴎外の文学活動全体にどのような影響を与えたのかという点やさらに翻訳が当時の日本文学及び日本文化全体にどのような影響を与えたのかという問題については必ずしも捉えられていない。特に近代演劇との関係からの究明はほとんどされていないといってよい。そこで本年度は、鴎外の翻訳文学と演劇との関係を明らかにするために明治40年代から大正5年にかけての文芸雑誌、演劇関係の図書、翻訳文学関係の図書を購入し、次の研究を行なった。 1.昨年度より継続してイプセンについての鴎外の読書歴の調査を行い、鴎外のイプセンへの関心が、イプセンの鋭い人間観察に基づいた戯曲に集中していることが明らかになった。 2.明治40年代の演劇と文学とのかかわりを考える上で、雑誌「スバル」で果した鴎外の啓蒙的役割の重要性を発見した。 3.鴎外の翻訳戯曲イプセンの『人形の家』(「スバル」掲載)の文壇での評価や、実際に上演された時の劇評を調査した。あわせて島村抱月の訳と鴎外訳との比較検討を行なった。抱月についてはその他のイプセンについての言及についても調査を行なった。 4.明治40年代から大正5年までの間に上演された演劇のリストを作成し、その中で鴎外の戯曲が47作上演(翻訳と創作)されており、日本の演劇の近代化に尽した鴎外の役割の大きさを数字の上でも裏付つけることができた。さらに、歴史小説や史伝の中の女性像と鴎外の翻訳戯曲の女性像との関連を究明した。 5.鴎外のドイツ三部作のうち、『文づかひ』と『舞姫』について論じ、ドイツ留学時代の演劇と文学との関係性を究明する研究に着手した。
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