昨年度の調査をもとに平成4年度は森鴎外の演劇への関心の目が開かれたドイツ留学時代(1884〜1888年)の調査を行なった。ドイツ留学中の西欧文学・思想の受容は、帰国後の鴎外の旺盛な啓蒙活動に反映されており、ドイツ留学時代を解明することは重要な意義を持っている。ドイツ留学時代に書かれた『獨逸日記』には、鴎外が忙しい研究の合い間を抜って度々演劇を見に行っていたことが記されている。鴎外の翻訳文学の中でもゲーテ・レッシング・イプセンなどの戯曲が多く、留学時代の観劇体験が、その後の鴎外の文学活動の土壌を形成することとなったと考えられる。そこで鴎外の留学時代とその後の文学活動を繋ぐ糸口に、演劇という視点を導入することで、鴎外の翻訳文学とのかかわりを明らかにした。具体的に以下の調査研究を行なった。1.日記や書簡から鴎外の観劇リストを作成し、ドイツでの演劇実体を調査するための資料の収集を行なった。2.鴎外の翻訳した戯曲のうち、実際に上演された戯曲のリストを作成した。3.ドイツで実際に見た演劇の劇評やプログラムを調査し、資料の収集を行なった。4.留学時代のドイツの演劇状況を把握するために、上演戯曲や俳優の演出についての言及を調査し、資料の収集を行なった。5.新聞・雑誌・図書を調査し、劇の批評史の研究を行なった。特にイプセンについては上演時の反響について調査した。その際、演劇史の中でのイプセンの役割を実証的に把握するように注意した。これまで鴎外の留学時代の演劇とのかかわりについてはほとんど解明されていなかったが、本研究によって鴎外の留学時代の観劇体験の全体像が明らかになった。今後は帰国後の文学活動に、留学時代の観劇体験がどのように反映されたかを把握するための実証的な研究をさらに進めていきたい。特に残された課題は帰国後の演劇改良運動における鴎外の役割を究明することである。
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