本年度において臨床で検査された406例のABR波形のうち、潜時msecの陰性電位(以下、N3電位)が記録された波形は1例も存在しなかった。このはN3電位に対して起源探求のための系統だった実験の困難さを示しているが、これまでに得られた知見を以下に総括し、それらをふまえて起源について考察する。 1)出現頻度は、1978年から1990年までの3319例のABR波形のうち、N3電位が観察されたのは46例(6.2%)で57耳(5.6%)であった。また性別や年齢に無関係であった。 2)音刺激を強くすると、N3電位潜時の短縮と振幅の増大をきたしたので、N3電位はアーチファクトではなく、音響刺激に対する生理学的な反応であると結論された。 3)N3電位が記録された症例において中枢性障害を示唆する脳神経症状はなく、末梢性(内耳性)による低音残聴型の高度難聴が存在した。そのN3電位の閾値は、通常のABRの閾値を反映するとされる高音域よりも500Hzの閾値に近似していた。 4)N3電位は音刺激頻度や位相によって潜時や振幅が変化した。 5)N3電位が記録された症例では強大音によるTullio現象や瘻孔症状は認められなかった。 以上から、N3電位は強大音で出現する聴性電気反応でABR波形の一つであると推定される。しかしその起源は5)の結果から前庭の半規管によるものと考えにくく、また3)の結果から低音の閾値が残存していることが、N3電位の出現に大きく関係していると思われた。そしてCazalsY、AranJMらはモルモットの蝸牛を破壊しも音響刺激によって電気生理学的な反応が得られ、その反応の起点は耳石器管の球形嚢としていることから、N3電位の起源としてこの部位が反応の起点と考えるのが最も妥当であろう。しかし、現時点ではヒトの耳石機能を検索する決定的な方法がないため、さらに検討が必要である。
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