研究概要 |
本年度の研究計画に沿い,新彊に清朝の支配秩序が確立されていく過程と,その後構築された内陸アジア各勢力と清朝との相互関係を,統治政策決定の場にあった旗人官僚と清朝皇帝が記した満文档案史料を利用し,その時代の歴史的情況に則して検討した。特に18世紀中葉のジューン=ガル征服,及びその後の「旗」を単位とする支配システム構築の過程を詳細に分析した。先ず,清朝が作成した新旧二つのジューン=ガル善後策に差異が見受けられ,その原因は清朝がジューン=ガルの旧来の社会構造に関する調査をおこない,それを基に旧善後策に修正を加えたことにあることを明らかにした。このため,ジューン=ガルに対する清朝の支配構想は,ジューン=ガルのハンの中核集団を八旗編成して清朝皇帝直属とし,それとは別に諸タイジ(遊牧首長層)が統率していた集団をジャサク旗編成にするとういうように,二重のもののに変化した。次に,上記の支配構造が,実際どのように在地杜会に浸透していったのかという問題を追及し,清朝が「エジェン(主)-アルバトゥ(属民)」という極めてモンゴル・北アジア的な支配関係を軸として,在地有力者を自己の支配体系のなかに取り込んでいき,支配秩序の再編を図ったことを明らかにした. また,中国第一歴史档案館(中国北京市)において,「軍機処満文録副奏摺」「軍機処満文上諭档」「軍機処満文議覆档」に収録された新彊関連の満文・チャガタイ文史料の調査をおこなった。なお,ダグール族(中国黒龍江省)の集落におけるでフィールド調査(中国社会科学院民族研究所との合同調査)を予定していたが,中国におけるSARS流行の影響を受け,実施するととはできなかった。
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