延慶本『平家物語』と唱導(仏事法会の場における表白や説法)との関係性について、1、寺院間の相論、2、末法思想という二つの側面から追究した。 1、中世において、有力な権門寺院(延暦寺・東大寺・醍醐寺・東寺など)はさまざまな利権をめぐって相論を繰り返した。その場合、自寺院の卓越性を広く説き知らせるための寺院縁起が盛んに編纂された。本年度、『平家物語』に含まれる東大寺縁起について具体的に考察し、延慶本が院政期の唱導の言説を取り入れていること、『源平盛衰記』が鎌倉時代末期に醍醐寺と東大寺との間で交わされた相論を背景にしていることを明らかにした。一方、寺院間の相論に当たっては、他宗に対すて自宗の優位性を説くための「宗論説話」というべきものも生み出された。延慶本『平家物語』に存在する弘法大師の宗論説話(弘法大師が天台宗を始めとする他宗の碩徳と問答をして真言宗の優越を実証したという話)について検討し、この説話が十四世紀初頭、延暦寺と東寺との間で交わされた訴訟と関連していることを報告した。 2、末法思想は時代とともに仏教の教えが廃れていくことを説くが、これが広く流行した最も大きな要因は、造寺起塔を促し菩提心を起こすことを説くため、中世顕密仏教が人々の危機感を煽ったことにある。延慶本『平家物語』の「山門滅亡事」の章段は比叡山延暦寺の荒廃の様を語っている。本年度、関連する唱導資料などを調査し、延慶本の山門滅亡(法滅)の表現が、唱導世界で培われた言説を取り込みながら成り立っていることを明らかにした。 以上のような作業と同時に、唱導資料『寺役転輪集』『安極玉泉集』『釈門秘鑰』の読解を進めた。
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