本年度は、殊に「大正デモクラシー期」と称される時代(1910〜20年代)における日本女性の社会的位置づけの変化に関する思想史的分析を中心とした研究を行なった。 1、先行研究において、大正期における女性の母性保護と経済的独立をめぐる論争と位置づけられてきた母性保護論争を、"女性が如何に社会構成に参加すべきか"という問題をめぐる女性による論争として再評価し、そのなかで、各論争参加者が各々の立場から「家庭」-近年の研究において、女性抑圧の象徴と評されてきた-を女性解放の要諦として認識していたことを示した(学位申請論文<2004年5月提出>)。 2、山田わかの母性保護論に関する論文を作成した。山田の母性保護論については、従来、保守的・体制的と評価され、先行研究が少ないのが現状である。これに対して本研究では、山田の議論を、日露戦後に生じた家事・育児の変化に対応できる教育・知識ある新しい「賢い母」育成の必要性とその社会的意義を説いた議論として評価し、体制迎合的なものとは一線を画したものであることを示した(「もうひとつの母性保護論」)。 3、日本初の女子大学生誕生に貢献し、又京大澤柳事件を起した(共に1913年)澤柳政太郎の女子教育・大学教育を中心とする高等教育観・教育改革論を分析し、近代日本の教育体制及び現状に孕まれる問題や高等普通教育に着目した澤柳の特徴的な教育改革論について分析した(「近代日本女子高等教育に関する一考察」、日本史研究会近代史部会報告)。
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