まず、英文論説"A Topographial Study of the City of Rome in the Second Century B.C. : the Forum Romanum and the Roman Republic"(Classical Antiquity誌に申請中)に代表される研究では、ローマ共和政中期において重要な政治決定のなされたローマ市のフォルム・ロマヌムをトポグラフィー的手法によって分析し、共和政中期における政治指導者層と一般市民との政治的・社会的関係のあり方、そしてその変化を明らかにすることを試みた。最終的な結論としては、前2世紀前半においては、コミティウムでの民会活動は政治指導者層のモニュメント群から生じた彼らの集団的な政治的イニシアティブのもとに服していたが、前2世紀後半以降、政治指導者層の集団的価値観が弛緩し、個人主義的なモニュメントが相次いで建設されることで、彼らと一般市民との政治的・社会的関係が、政治家個々人と大衆という論理に基づいて構成されていった、と主張した。 第二の研究業績は、投稿を予定している論説「ポンペイの「コミティウム」:イタリア都市における政治的トポグラフィーとローマ支配」に代表される研究である。本研究は、直接的には、在イタリア共和国ポンペイ市、西方古典文化研究所での今夏の実地調査・在外研究の成果に基づくものである。ここでは、ポンペイ遺跡の中央広場にあるいわゆる「コミティウム」を考古学的・建築学的に調査する機会に恵まれたが、その分析結果をふまえた上で、上記のローマ市のトポグラフィー分析の考え方を借用しながら、ローマ支配の浸透が植民市ポンペイの政治的トポグラフィーに大きな影響を与えていることを明らかにした。
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