本研究では、初期印刷本『カンタベリー物語』にデジタル技術を活用した書誌学的分析を加え、15世紀末の印刷工房における書物生産の実際や、同時代の読者層の問題について考察することを主眼としている。具体的には、英国最初の印刷業者キャクストンとその後継者ド・ウォードが刊行した3つの版を研究の対象としている。 本年度の研究成果はおもに2点挙げられる。第1点として、大英図書館所蔵のキャクストン印行『カンタベリー物語』初版のデジタル画像(慶應義塾大学HUMIプロジェクト撮影)を用いて、その活字研究を行った。高精細な画像を援用することで、従来見過ごされてきた活字の使用を発見した。その研究成果に基づき、さらにキャクストンが同時期(すなわち英国で印刷所を開設した初期段階)に印刷したとされる出版物を調べることで、活字という視点から、キャクストン初期刊行物の年代決定の可能性を提示した。この研究結果は2003年7月にドゥ・モンフォート大学(英国レスター)で開催された国際学会において口頭発表を行った。また学術雑誌Poeticaに論考が掲載される。 もうひとつの成果は、ド・ウォード版『カンタベリー物語』(1498年印行)のテクスト転写の完了と、コンピューターによるテクスト校合の開始である。ド・ウォード版を現存する写本とキャクストン版と、コンピューターによるテクスト校合分析を行い、この分析からド・ウォードがキャクストン版と併せて底本として用いた写本の系統の可能性を探っている。現時点では分析途中であるが、ド・ウォードが用いた写本は、キャクストン版よりも'archetype'に近いことが明らかになりつつある。この研究結果は、7月に英国ダラムで開催された初期書物史学会で英語による口頭発表を行い、現在、博土論文としてまとめている。
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