結論として2004年度は、翌05年度のための作業をした年であった。 5月から9月にかけては、早稲田大学教授古井戸秀夫氏の編による『歌舞伎登場人物事典』の項目選定に関わり、全3000項月のうち、河竹黙阿弥の作品を中心とした37作品約120項目(人物数)の執筆を行った。2005年10月白水社より出版予定。 7月末、東京への松竹の進出について、早稲田大学演劇博物館COE特別研究生発表会で発表した。 9月、『日本演劇学会紀要43』に「長谷川時雨の『さくら吹雪』について」という論文を書いた。長谷川時雨は明治40年代から昭和期にかけて、歌舞伎俳優6代目尾上菊五郎とたくさんの仕事をした作家で、歌舞伎座興行師田村成義とも深い関わりがある。 10月から1月にかけては、夏に調査した時に問題となった「松竹とは本質的にどのような会社なのか」を知るために、大阪・京都の公文書館などで調査を行うた。途上で「京都日出新聞」という新聞の演劇興行について記した欄から多くの情報を得られることが判明したので、松竹設立の年である明治28年から、現在38年まで調査を続行している。 いま判明してきた、東京の歌舞伎興行のおおまかな歴史は、以下のようになる。 幕末における家族的な興行経営の破綻→ 借金返済の便宜を図るための株式会社方式の導入と破綻・古い座元の凋落→ 本格的な株式会社方式の導入と劇場外部の資本家の参画→ →(1)京都で、劇場経営者と興行経営者が完全に分離した方式をとった松竹が成長 →川上音二郎の影響で観劇方式の合理化を達成、その方式を東京へ (株式会社方式はやや退歩?) →(2)明治44年、資本家が経営の中心となる帝国劇場の開場 ((1)と(2)は平行した動き) 05年度は、この流れを検証すべく、ひきつづき博士論文を執筆することにつとめたい。
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