本研究では、非自然主義的な心の哲学にコミットし、志向性を示す心的状態、特に命題的態度の存在が位置づけられるべき、非自然主義的な世界のあり方を「合理性」という観点から探究することを目的としている。今年度は、その一つの足掛かりとして、われわれが心的状態(特に命題的態度)に言及する「フォークサイコロジー(以下FPと省略)」という営みがそもそもどのような実践であるのかという問題について考察し、以下の1.のような成果を得た。また、それと並行して、合理性の問題に関連する倫理的知識の身分および倫理教育の在り方について、技術倫理という応用倫理の一分野を題材に考察を行い、以下の2.のような成果を得た。 1.コネクショニズムなど近年の認知科学の成果によれば、FPにおいて言及される心的状態(特に命題的態度)を脳状態と同一視することはできない。消去主義によれば、これは心的状態(特に命題的態度)の非実在性を示しており、FPは放棄されるべき実践である。しかし、この消去主義の議論は還元主義を前提している点で不当である。実在性を実践における有効性という観点からとらえる実践的実在論によれば、FPという実践の有効性に基づいて心的状態(特に命題的態度)の実在性を認めることができる。 2.技術倫理の教科書の多くでは事例分析が多用されている。これに対しては、倫理的知識は体系的な理論的知識として習得可能であり、倫理教育にとって事例分析は本質的ではないのではないか、あるいは不適切でさえあるのではないかという疑念がしばしば生じる。しかし、倫理的知識は合理性概念と本質的に結びついているがゆえに体系化不可能であり、それゆえ、それは、個々の文脈に即して「何をなすべきか」を判断する実践的能力に他ならない。この限りで、事例分析は倫理教育にとって本質的である。
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