近現代のユダヤ系の哲学者らの多くが、ヨーロッパのユダヤ人問題の解決の一手段として、イスラエルという「ユダヤ人国民国家」の建国に一定のコミットを行なっていたわけであるが、実際にはその立場は一様でないばかりか、「ユダヤ人=国民」とすることそのものに対する見解は賛否両極にまで分離していたし、また同時に一人の哲学者・思想家の中にも矛盾や混乱を読み取ることもできる。典型的には、ハンナ・アーレントがイスラエル建国の前後に行なった発言の振幅がそうである。(拙稿、「国家創設の普遍性と特異性のアポリア」でその問題を論じた。) より重要なことは、ユダヤ思想の内在的な本質から国民国家思想を批判する視点を描き出したことである。ディアスポラ=離散にあるユダヤ人こそが、国民国家を超える複合的な多文化性を肯定する視点を提起しうるのだということを示したのが、ディアスポラ主義者のユダヤ人思想家らであり、そしてその主張をアラブ・パレスチナ人の側から受け止め応答をしていたのが、エドワード・サイードであった。(拙稿、「エクソダスの政治学」において、その問題を論じた。)
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