本研究では、大正デモクラシーから総力戦にかけての時期を中心として、日本の社会事業=救貧制度の形成過程を、政策理念を語る言葉に着目して解明すること(言説実践としての政治過程分析)を課題とした。明治・大正期を経て総力戦期に至るまで繰り返し強調され続けたのは、"救済とは、人格の完成によって、一体としての<全体>への貢献を果たすことを可能ならしめることに他ならない"という救貧理念であった。個人の法的権利でもなく、また「国家」による一方的な恩恵でもない、"<全体>への主体的な参加の義務"が、戦前日本の救貧制度に響き続けた強い理念であった。それは、救済の受け手が受身の客体であることを許さない制度であった。救済の受け手に対して求められたのは、独立自営の人材として自己を完成させ、「国家・社会」の発展に寄与することであり、禁じられたのは、「国家・社会」に内在しない異物=objectとしての位置から、「国家・社会」に対して救済を要求することであった。戦前日本の救貧制度は、こうした意味での"シティズンシップへの過程"として意味づけられていた。戦前日本の救貧制度において、個人の法的権利が認められなかったのは、救貧制度がほとんど常に、困窮者を「国家・社会」の営みに参加・貢献するSubjectに引き上げ、<全体>の中に「所を得させる」ための救済として意味づけられ、またそのように運用されていたからである。この理念は、「大正デモクラシー」や「戦時体制」という時代の変化をくぐって再生産されていった。本研究は、戦前日本の救貧制度の形成を、明治以降の「国民」形成というプロジェクトの一環として捉えるべきことを示した。そして、救済への権利を否定した救貧制度の性格は、日本の近代化の未成熟や前近代性の温存によってもたらされたものであるよりも、むしろ日本の近代化そのものが生み出したものであることを明らかにした。
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