研究課題/領域番号 |
04041117
|
研究種目 |
国際学術研究
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 神戸大学 (1993-1994) 国立民族学博物館 (1992) |
研究代表者 |
須藤 健一 神戸大学, 国際文化学部, 教授 (10110082)
|
研究分担者 |
前川 啓治 筑波大学, 歴史人類学系, 講師 (80241751)
棚橋 訓 慶応大学, 文学部, 講師 (50217098)
遠藤 央 鳥取大学, 教育学部, 助教授 (10211781)
山本 真鳥 法政大学, 経済学部, 教授 (20174815)
清水 昭俊 国立民族学博物館, 第4研究部, 教授 (30009758)
|
研究期間 (年度) |
1992 – 1994
|
キーワード | アメリカ合衆国・ハワイ / サモア人 / トンガ人 / 移住先社会への適応 / 本国送金・経済的貢献 / 伝統行事の維持 / ミクロネシア人 / 相互扶助組織 / 「島人意識」 / Micronesia |
研究概要 |
平成4年度の移住者の出身国(西サモア・米領サモア、トンガ王国、クック諸島、ミクロネシア連邦、パラオ共和国)での調査、平成5年度の近隣諸国(ニュージーランド、オーストラリア、グアム、北マリアナコモンウエルス)への移住実態調査の後をうけ、最終年度の本年度はオセアニア島嶼国からアメリカ合衆国・ハワイ州への移住に焦点を当て調査を実施した。合衆国への移住の歴史、合衆国との政治・外交関係、移住後の社会的適応・同化の状況、本国の家族・親族との関係などの面で、島嶼国ごとにかなりの変異がある。以下で国ごとに調査の成果について述べることにする。 1.サモア:ハワイ州に居住する西サモアと米領サモアからの移住者は、1万5千人(合衆国全体で約6万人)を数える。移住時期は第二次世界大戦後から現金収入や就学を目的とする短期的移住が開始されたが、1960年代前半からその数は急増した。これは米領サモアの米軍基地の撤収により基地従業者などのハワイへの移住によるものである。このような長期の移住を希望する人々のハワイへの定着、彼らの島からの家族や親族の呼び寄せという連鎖的移住が増加した。サモアからの移住者は軍関係の仕事に従事するほか、工場、交通・輸送、流通・商業など多種の業種に就業している。ホノルルのアパートに集住するという当初からの居住様式は、今日においても大勢を占める。本国との関係は、近親者などの呼び寄せはあるものの送金などによる経済的貢献は薄くなってきている。これは移住開始年代が古く、移住先への社会的適応が進み、経済的自立を優先させる家族設計重視による。 (2)トンガ:2万人余のトンガ人合衆国居住者のうち、ハワイ州に住むものは6千人と推定される。1970年代後半から移住が増加するが、その契機は宗教団体の招聘や建築労働者としての移住であった。今日では、庭園造営・管理、家屋の基礎工事などを請け負う小規模会社を経営し、家族・親族単位で労働に当たる就業形態を特徴としてる。大半は借家に住むが、教会のサービスや伝統行事などの親睦会などを通して相互扶助組織とトンガ人としてのアイデンティティ意識を共有・強化している。このような「トンガ人意識」は、本国の家族・親族への積極的送金や生活用品の贈与などを行い、家族・親族の生活向上支援という移住目的である経済的貢献を遂行し、出身社会との紐帯を維持しようとする行動に現れている。また、移住者第一世代は、子弟の教育を終えると本国への帰還を希望するものが多く見られ、ハワイ社会へ適応・同化することに消極的である。 (3)パラオ共和国:第二次世界大戦後合衆国の信託統治領であったパラオは、軍人や留学生がハワイや本土に定定着する傾向が強く、400人がハワイに、1500人が西海岸等に居住している。就業先は高学歴を生かし教育関係や病院など公的機関への進出が顕著である。パラオ出身者が「島人会」を組織し、経済的相互扶助の集まりや若者のスポーツによる交流の場をもつなど、島出身者の情報交換や交流を深めている。 (4)ミクロネシア連邦:パラオと同様信託統治領であったにもかかわらず、一部留学生の定着を除くと合衆国への移住者は少なく、独立(1986年)以降農場などでの季節的集団的労働や病気治療など、いずれも一時的滞在者が見られるだけである。社会・経済的目的のための移住ないし出稼ぎは、距離的にも文化的にも近いグアム、サイパンを第一の候補地にしていることがうかがえる。 (5)クック諸島:留学生および宗教団体従事者を含めハワイに居住するクック諸島居住者は数十人に過ぎない。これはクックがニュージーランド領であったために、ニュージーランドへの移住が優先されたためである。
|