研究概要 |
1973年BlissとLφmoによって見出された,シナプス伝達長期増強(LTP)は,ヒトの記憶,学習の基本モデルとみなされ,活発な研究が続いている。最初,電気生理学的現象として見出されたLTP誘導の背景には分子レベルでの物質の変化が伴っていると考えるのは理の当然である。当初,海馬CA1領域でのLTPは前シナプス性部位活動の亢進に基づき,神経伝達物質の放出素量の増大と考えられた。しかし,最近は,後シナプス部位のNMDAグルタミン酸受容体刺激による細胞内Ca^<2+>流入の増加が引き金とする考えが,種々の状況証拠から確かさを増してきた。細胞内へのCa^<2+>流入後の反応としては,Ca^<2+>依存性プロテインキナーゼ活性化反応がおこり,LTP誘導を引き起こすと考えられている。私達は,海馬培養神経細胞の知見に基づき,Ca^<2+>/カルモデュリン依存性プロテインキナーゼII(CaMキナーゼII)に焦点をしぼり,LTPとの関わりを研究してきた。 LTP誘導とCaMキナーゼIIとの密接な関係を検索する目的で,海馬切片,海馬培養組織(器官培養)を用いての実験を行なった。脳海馬切片のCA1領域に入るSchaffer線維にテタヌス性刺激を与え,CA1領域錐体細胞に記録電極を挿入してLTP誘導を確認した。対照としては,低頻度性電気刺激を与えた。刺激後,CA1領域の組織をパンチアウトしてホモジナイズし,上清画分についてCaMキナーゼII活性を測定した。酵素活性測定反応液中には,プロテアーゼ阻害剤,PKC阻害ペプチド(PKC_<19-36>)を添加し,CaMキナーゼIIに特異性の高いシンタイド2を基質として酵素活性を測定した。得られた酵素活性はCaMキナーゼIIそのものと考えられた。CaMキナーゼIIの全活性(Ca^<2+>/カルモデュリン存在下)およびCa^<2+>/カルモデュリン非依存性活性が対照に比較して有意に上昇していた。時間的経過でみると,LTP誘導後5分ではすでに最大活性が得られ,測定した60分でも活性の上昇が維持されていた。全活性,Ca^<2+>非依存性活性の上昇は,シナプシンIを用いても同様に認められた。NMDA受容体阻害剤であるAP5をあらかじめ培養液中に添加しておくと,テタヌス性刺激を与えてもLTP誘導が抑制され,同時にCa^<2+>非依存性活性の上昇もまた抑制された。また,プロテインホスファターゼ1,2Aの阻害剤であるカリキュリンAで前処理しておくと,CaMキナーゼII Ca^<2+>非依存性活性の上昇,テタヌス性刺激によるLTP誘導が観察された。以上の結果はLTP誘導にCaMキナーゼIIの関与を強く示唆している。さらに全活性の上昇したことは,酵素の膜分画から可溶性分画への転移,潜在的酵素の活性化,ホスファターゼ活性の抑制,酵素蛋白質の誘導などが考えられる。 国際学術共同研究を行なっているスイス・ジュネ-ブ大学医学部薬理学教室と熊本大学医学部第一薬理学教室は協力して次のような研究役割を分担した。Muller博士はラット海馬組織の培養を施行し,成熟ラット海馬切片とともに,テタヌス性電気刺激を与えて,電気生理学的にLTP誘導を確認したサンプルを作製した。昨年度,福永浩司がMuller博士の教室において,サンプル作製後の処理方法を確立し,今年度は,ドライアイス詰めにした凍結サンプルをスイスから熊本大学へ航空便による送付を行ない,第一薬理学教室において,薬理学的,生化学的分析を施行した。さらに,Muller博士は熊本大学医学部第一薬理学教室を訪問し,実際に共同研究を行なった。同時に,これまで得られた結果の解析,検討,今後の研究の進め方について討議した。LTPによるCaMキナーゼII活性化反応後の燐酸化基質の同定,遺伝子発現への効果について予備的成果を得た。 今年度は,共同研究の成果を国内外の学会ならびに雑誌において発表し,成果に関する批判を問うた。第14回国際神経化学会議(フランス・モンペリエ)において宮本英七,第36回日本神経化学会(大阪)において福永浩司,第23回北米神経科学会(アメリカ・ワシントンDC)において福永浩司,第17回日本神経科学大会(名古屋)において行なわれたシンポジウム(シナプス長期増強の分子機構,オ-ガナイザー:宮本英七,津本忠治)においてD.Muller,福永浩司がそれぞれ成果の発表を行なった。
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