1.戦後、GHQの指導の下に結成された地域婦人会は、とりわけ戦後の混乱期から高度成長期にはいる昭和30年代の末まで、家庭の女性たち、特に農家の嫁達にとって貴重な情報源であり社会的活動の場であったとおもわれる。事実、地域婦人会は戦後の生活改善活動の主たる担い手の一つであった。女性たちは、婦人会活動を通じて吸収した新しい知識を家庭のなかに次々と持ち込み、また日常生活のなかで感じ考えたことを婦人会活動を通じて社会に反映することによって、戦後日本の生活文化の急速な変容を可能にした。このような戦後の文化形成に果たした女性の役割を、鳥取県連合婦人会と根雨地区婦人会の活動を詳細に跡づけることによって明らかにした。資料としては、両婦人会の機関紙を収集し、これを分析した。 2.戦後の婦人会の成立期およびその後の発展期と現在の婦人会の組織状況の差異を明らかにし、かつ現在の婦人会員によるこれまでの婦人会の歴史についての認識度と評価を把握するために、鳥取県の全地区婦人会の会長ならびに支部長を対象としてアンケート調査を実施した。この調査の結果によると、過去の婦人会活動の理念と歴史の継承は必ずしもスムースになされているとは言いがたく、また会員の高齢化や会員数の減少も避けがたい事実であるが、しかしなお僅かながらも環境保護運動の担い手として、あるいは地域女性の社会的活動の拠点として積極的役割を果たすものもあった。 3.鳥取県連合婦人会の会長として昭和30年代半ばから鳥取県における婦人会活動の指導的役割を果たし、同時に数々の市民運動の中心的役割を果たしてきた近藤久子氏の半生を跡づけ、近藤氏の行動理念を明らかにすることによって、戦後日本の女性指導者の思想的背景と性格規定を試みた。
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