『大方広如来性起微密蔵経』(略称『微密蔵経』)二巻は、これまで六世紀初頭の梁・僧祐撰『出三蔵記集』や、七世紀末ころの唐・法蔵撰『華厳経伝記』などによってその存在は知られていたが、すでに散佚したものと見られていた。ところが、近年、それが名古屋の七寺に蔵される一切経(いわゆる七寺一切経)の中にほぼ完全な写本の形で現存することが明らかとなった。本研究は、この『微密蔵経』を綿密に解読し、本経と関係の深い華厳経類の諸経典などと比較・検討することを通じて、それがもつ漢訳経典としての特徴と意義、および、その思想史的役割を解明することを最終目的として遂行された。二年間という短い期間ではあったが、この目的に沿って相当の成果と将来の研究に向けての確かな見通しを得ることができたと信じる。 具体的成果としては、(1)七寺本『微密蔵経』は、平安末期、十二世紀後半に筆写されたと推定される貴重な写本であるが、これには少なからず誤写・脱文があり、慎重な取扱いが必要なこと、(2)本経は、全体としては『六十華厳』性起品、とくにその「聖語蔵本」(聖本)とほぼ合致すること、(3)「微密蔵」という語は、本経の教説自体に基づくものであるが、これを経題に含めたところに本経の編纂・流布の意図が強く示唆されていること、(4)本経は、結論的には、『六十華厳』の訳出後に、その中の性起品の思想を重視する人々がこれを抜き出して広めようと企てたことによって生み出されたと見る方が自然であること、(5)本経は成立後、その原本の改訂本も作成された。法蔵の『華厳経伝記』が記すものは、この改訂本である、と推測されること、(6)七寺本『微密蔵経』は、上の原本の流れを汲むと考えられること、などを数え上げることができる。
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