二箇年にわたる観察の結果、本研究の最終目的であるパルテノン神殿の造営目的について、以下のような想定が可能となった。 (1)パルテノン神殿の造営を統括したペイディアスは、着工から四年後に同神殿の本尊アテナ・パルテノスの造像に着手するに際して、同時に着工したフリーズにパンアテナイア大祭を表わし、かつ本尊に彼女自身がその祭列に何らかの形で参加するという図像をとらせることによって、旧来のアテネ・ポリアス信仰を否定することなく新たなアテナ・パルテノスの神格を確立するという構想を立て、 (2)その具体的手法として本尊のパルテノスが右手にするニケ像に、酒瓶を手に他の神ないし人間の持つ酒皿に神酒を注いでその献酒の手助けをするという、当時の陶器画に瀕出するニケの図像を適用し、 (3)一方、東フリーズの北回りの行列、つまり旧制度のアテナイを象徴する隊列に、このニケから神酒を受けるべく酒皿を持って立つ姿の乙女を表すことによってニケとこの乙女の結びつき、ひいては新・旧両アテナ女神の結びつきを示すこととし、 (4)さらに本尊とフリーズのこうした結びつきを一段と明確に示すべく、本尊に最も近く位置する神殿内陣の外壁を当初予定していたメトープに代えて新たにフリーズ浮彫で飾ることとし、本来、他の神殿と同じく同個所を飾るべくすでに完成していたメトープ浮彫板24面を急遽神殿南外周に設置し直したのではないか。 (5)以上の想定は、かつパルテノン建築碑文の示す本尊およびフリーズの着工年B.C.444/3年が、あたかもペリクレスが保守派の宿敵ツキディデスを追放した年にあたる、という歴史事実ともよく符号すると思わる。
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