今年度の研究は、主として「現象学」という概念を巡るマッハとフッサールの間の影響関係をの有無を解明すること、および「物理学的現象学(=感性的要素一元論)」として構想されたマッハの科学論のもつ現代的意義を浮き彫りにすること、これら二点を軸にして展開された。 1.マッハによる「現象学」という言葉の用法は、ボルツマンをはじめとする同時代の物理学者たちの用法と軌を一にしている。すなわち、現象の背後に「物自体」を認めない考え方を指しており、今日でいう「現象主義」の概念とほぼ重なり合っている。もちろん、フッサールの用法はそれとは異なるが、「ドイツ論理学書報告(1897)」や「アムステルダム講演(1928)」、およびマッハ宛の書簡などを見る限り、彼は「現象学」という言葉をマッハの用法から借用した可能性が高い。両者に共通するのは「純粋記述」という方法的態度である。しかし、マッハの物理学的現象学はあくまでも感覚現象に依拠した「世界内在的」な現象学であるのに対し、フッサールのそれは、「現象学的還元」の手続きに基づいた「超越論的」な現象学にほかならない。それゆえ、フッサール現象学は、マッハ現象学の「超越論的転回」を通じて形成されたものと見ることができる。 2.マッハの「物理学的現象学」は、物理学からあらゆる形而上学的カテゴリーを排除し、感覚要素の複合体を思惟経済の法則に従って記述し、諸現象の比較を通じて物理法則を探求しようとする試みである。その内容は、「真理」や「相対主義」を巡る現代科学哲学の係争点にそのままつながっている。マッハの科学論は、現象主義的な「反実在論」の立場を大胆に提起することによって、今日の「真理の合意説」や「理論の決定不全性」のテーゼを先取りしていると言える。その点にこそ、現在マッハが「再発見」されねばならない理由があるのである。
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