研究課題/領域番号 |
04610007
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研究機関 | 南山大学 |
研究代表者 |
服部 裕幸 南山大学, 文学部, 助教授 (40110754)
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研究分担者 |
柴田 正良 金沢大学, 文学部, 助教授 (20201543)
小林 傅司 南山大学, 文学部, 助教授 (70195791)
横山 輝雄 南山大学, 文学部, 助教授 (80148303)
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キーワード | 翻訳の不確定性 / 根底的解釈 / 全体論的言語観 / 自然主義的認識論 / クワイン / デイヴィドソン |
研究概要 |
クワインの翻訳の不確定性テーゼは言語に関する全体論的見地に本質的に依存している。ただし、ここで言語に関する全体論的見地と言う場合には、ダメットの言う意味でのそれではない。ダメットの言う全体論は「意味に関する全体論」とでも呼ぶべきものであるが、クワインのそれは、強いて言えば「経験的テストに関する全体論」とでも呼ぶべきものである。 他方、言語に関する全体論的見地からは、ただちに、テストの単位が個々の文ではなく、文の全体であるということが帰結するが、この事実の一つの系として、分析的言明と綜合的言明とを明確に区別することは出来ないという有名なクワインのテーゼが導かれる。さらにその特殊ケースとして、(伝統的な用語で言うところの)認識論(哲学)と知識の科学(経験科学)の明確な区別が否定されることになる。これがすなわち自然主義的認識論にほかならない。 クワインの場合には、言語に関する全体論的見地から、純枠に言語に関する知識と経験的知識の明確な区別の否定が導かれ、その結果として、真理に関する整合説がもっともらしいものとして十分許容されることになる。 デイヴィドソンの場合には、問題が(根源的)翻訳の場面ではなく(根源的)解釈の場面に移され、全体論も意味解釈のみならず信念付与をも込みにして考えられることになる。彼の場合には意味理論が作られるので、クワインのような議論によって認識論と知識の科学の区別が否定されることはない。むしろ、意味解釈のみならず信念付与をも込みにして考えられた全体論から直接的に、意味に関する知識と経験的世界(について他人がもつ信念)に関する知識が明確には区別出来ないということが導かれ、ここから自然主義的認識論への道が開かれるように思われる。しかし、この点は今年度の研究においては十分に明確にするには至らなかった。
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