今年度は古代初期(前2世紀)から制作が始まり、古代後期(後5世紀頃)以降作例が極端に減少する本生図について考察することを主目的とした。先ず現存作例についての写真資料をでき得る限り収集し、モノクロのキャビネ版に焼き付けたものを台紙に貼付し、主題名・制作時期・出土地・主題の構成要素による検索を行えるようデータを記入した。また典拠となるパーリ語『ジャータカ』については、春秋社版の日本語訳及びCowellの英訳本を底本に、それぞれの説話の登場人物・場面設定を基礎データとしてカードに採取した。更に同一主題の説話に対応する漢訳経典については、干潟龍祥『本生経類の思想史的考察』の付表を参照しながら、主題ごとに当該箇所を分類したうえで、同じような手順で基礎データを採取した。 こうした作業を進める中で、同一主題による造形作品で、作例数が多くしかも制作年代の幅の広い場合には、制作年代によって説話図の構成要素に明らかな違いがあり、それが典拠となった経典の違いに起因することが推察された。そこで「六牙象本生」(第514話)と「大猿本生」(第407話)を例にとって作品と経典の記述との呼応関係を調べてみた結果、制作年代の早い作例ではいずれも『ジャータカ』の韻文部分の記述に対応し、時代が下るとともに説話自体が詳細となる漢訳経典の『六度集径』、『摩詞僧祇律』との対応関係が推察され、5世紀以降になると自己犠牲的な内容が強調される『ジャータカ』の註部分の記述と極めて密接な対応を見せる。特に数少ない画像の作例として重要なアジャンター第17窟の壁画では、「六牙象本生」は大乗経典である『大荘厳論経』、「大猿本生」は『ジャータカマーラー』を典拠としている可能性が高いと結論づけられた。これらの結果は、平成4年5月に国際東方学者会議、6月に民族藝術学会第12回東京研究例会で先ず口頭発表された。
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