前年度は1頭のチンパンジーで、音のでる物体の音とその物体の映像を用いた聴覚-視覚の感覚間見本合わせ課題の習得を検討した。本年度はその延長として同じ音のでる物体を用いて、聴覚-視覚の感覚間遅延見本合わせ課題で、同じチンパンジーの聴覚の作業記憶の検討を先ず行った。対照として与えた視覚-視覚の条件と比較した。遅延時間は16秒まで延長した。その結果、視覚-視覚の条件では16秒の遅延時間でも90%以上の正反応率が維持されたが、聴覚-視覚の条件では遅延時間が延長されるに従って成績が低下し、16秒遅延ではチャンスレベルになった。次に、「物とその音」、「人とその声」の対を多数用意して、チンパンジーが音に基づいて対象を認知できるかを、同じ聴覚-視覚間の見本合わせ課題で検討した。これは音に基づく対象の概念形成を検討することに通じる。この実験では音響刺激はメモリーに録音されたものを使用し、スピーカから呈示した。実験結果は、刺激の対を増加させるに従って成績が向上する事を明らかにした。ただし正反応率はおよそ80-90%で、課題が容易であるにもかかわらず、比較的低いレベルにとどまっていた。しかし、総数44の刺激のうち第1試行から正解だったのは34刺激で、音響刺激に基づいて概念的なものが成立している可能性が示唆された。この実験で興味深かったのは、刺激対を固定した場合と各セッションで相手を変化させた条件の比較である。対を固定した前者の条件では成績は安定しなかった。これは視覚的な選択(テスト)刺激の力が強くなるためと考えられた。これらの結果は、チンパンジーの聴覚認知の世界が脆弱であることを示唆した。しかし音響刺激に基づく対象の概念の成立を示す結果をえて、今後の研究に明るい展望をもった。
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