1953年の宮城県におけるうたごえ運動の成立から40年間の歩みを整理してみると、活動の高揚ー停滞をめぐっては、4回ほどの画期が認められた。それは、レッドパージを含む第1反動期(50年代後半)、労働運動の反共シフトの展開(60年代後半)、80年代の第2反動期と整合しており、この運動が社会ー政治情勢と密接な関係を持ったものであるということが地域の中でも実証された。しかし、それを乗り越えて40年以上継続しているという事実には、うたごえ運動自体が文化運動として新たな展開(発達)を見せる過程であった。そこには、中央ー地方の関係から捉えられる政治運動としての側面と、合唱(団)の組織化をめぐる音楽運動としての側面の矛盾が、新しい活動の画期を生み出すという関係があり、うたごえの普及・組織化をめぐって、地域の文化運動としてのあり方が問われていく過程でもあった。特に、中心合唱団である仙台合唱団にみられるような「文工隊型活動」から地域合唱団として成長していったことは、地域文化運動としての側面が重視されてきた関係として指摘できる。普及や組織化は、青年層の動向を中心とした地域づくりにおけるうたごえ運動の観点を必要とし、政治ー音楽の枠組みを離れた新しい質の文化運動が求められてきているといえよう。当研究は3年計画が1年のみの補助であったため、資料収集が仙台市部ー仙台合唱団と宮城のうたごえ協議会に限られざるを得なかった。然るに、この関係は、ー県内においても、中心合唱団ー地域サークル・合唱団の関係として、あるいは、東北の中心としての宮城ー他県の関係として、同様の関係が史的展開において認められるかどうかという論点が必要である。それらは、今後の調査課題として残されている。また、調査対象者や協力者の間で、この研究を「宮城のうたごえ運動史」として刊行しようという計画があり、調査研究を継続したい。
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