前年度における主要図書館における資料サーベイ、文献研究、そして今年度におけるヒヤリングによって、都市町内会の復活過程に関して、概ね次のような知見が得られた。 仙台、東京(横浜)のいずれの場合も、サンフランシスコ講和条約の締結に伴う、町内会禁止を定めたポッダム政令第15号の失効によって、雨後の筍の如く町内会の叢生をみたが、その兆しはすでに講和締結のほぼ1年位前から観られた。すなわち、昭和26年頃から一部地域で福祉組織、防火・防犯組織、日赤奉仕団等の〈代替組織〉の町内会への切り替えがはじまり、またそれとともに、町内会禁止とともに設けられた、行政と住民を橋わたしする(実態としては行政の下請を担った)各種委員(象徴的には民生委員)の大幅な再編が行われるようになっている。つまりこの時期において、町内会復活に向けての、組織面、人的構成面(とりわけリーダー層の包絡という点)での「上から」の再編が進展しているのである。こうした動きは、講和締結を経て加速し、町内会の公然たる復活に加えて、連合組織化の動きとして顕著になった。こうした一連の動きにたいして、行政のフォーマル、インフォーマルの介入が大きく作用していることについては、前年度に述べた通りである。しかし同時に、町内会の復活を必然化せしめたいま一つの要因として、〈受苦〉の地域社会が存続していたことを忘れてはならない。そこには、地域生活の自存に向けた「共同生活」への模索が伏在していたのである。この点については、5年度から6年度にかけて実施されたヒヤリングによる知見に負うところが大きい。 しかし未だ研究成果としてまとめ切れていない部分もあり、これらは別途発表する機会をもちたい、と考えている。
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