両大戦間期日本における女子教育思想を研究していく場合、既婚女性に対する教育とその組織化の問題の解明が、研究課題の一つとして存在している。 そもそも既婚女性が教育対象としてとらえられ始めたのは、第一次世界大戦後であったが、それは社会教育の一環として押し進められていった生活改善運動をきっかけとしていた。生活改善運動は日常生活の「後進性」を問題とし、その改善をめざした運動であったが、日常生活は女性が担うべきものであるがゆえに、女性が教育対象として浮かび上がってきたのである。このことは言葉を代えて言えば、社会教育の名の下に、女性の本来的役割とされていた家庭内役割にまなざしが注がれ、私的領域に政治が介入していくことを意味していた。そして生活改善は当初、衣食住に代表される家事の合理化の問題を扱っていたが、やがては子どもの精神・身体に関する科学的知識や衛生思想、さらには家庭教育のあり方や母としての心得などの普及や伝達へと課題が拡大していった。 このように社会教育の登場によって、家事・育児・家庭教育などの私的領域が注目され、既婚女性が教育の対象として登場してきたが、昭和初期に入ると、もっと別の視点から論じられていく。すなわち、浜口内閣の下で、「思想国難」、思想「悪化」といわれる状況を打開するためにも、家庭教育の問題に関心がもたれていった。また、「経済国難」を打破するために経済緊縮運動が展開されたが、女性は消費経済を担うがゆえに、積極的にこの運動に動員されていった。 このような歴史的な流れの中で生まれたのが、1930年に、家庭教育の振興をめざして公布された文部省訓令「家庭教育ニ関スル件」であり、女性動員のための団体である大日本連合婦人会の結成であった。
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