1、研究経過: シカゴ大学図書館よりフレデリック・スターのフィールド・ノート(1904年、1909-1910年、1911年)、アイヌ・ノート(モノグラフ執筆用メモ)、および手紙類のマイクロ・フィルム(コピー)の通読に努め、判読できた部分はワープロに入力した。さらに研究会等の機会をとらえ、スターの残した記載内容の検討をおこなった。 2、実績の概要: フレデリック・スターの記載内容には、北海道のアイヌ文化に関する記述だけでなく、彼の来日当時の東京を中心とする日本社会の描写も含まれている。日本社会に関する記述の検討とアイヌ資料以外の膨大なコレクションの研究には、別個の共同研究の実施が必要であろう。 スターが日本で入手したアイヌ資料(物質文化)のうち、320点ほどはブルックリン美術館に、残りの約70点はベロイト大学附属ローガン人類学博物館に保管されている。フィールド・ノートの解読により、ブルックリン所蔵資料の大半は沙流川流域で1904年と1910年に収集され、一部は1910年に十勝地方と室蘭で入手されたと判明した。ローガン所蔵資料は1911年に東京で、小谷部全一郎から購入したことが判明した。いずれもアイヌ資料収集の背景を物語る重要な情報であり、各博物館の資料の研究、分析に必要不可欠である。 さらに、フレデリック・スターの最初のアイヌ資料収集には、イギリス聖公会宣教師のジョン・バチェラーが深く関与していた。バチェラーはスターだけでなく、他の北米関係者のアイヌ資料収集にも協力した。また、ポーランドの民族学者B・ピウスツキと交流があり、アメリカ人類学の父F・ボアズはピウスツキと文通していた。 これらの研究者間の交流は今まで学界に報告されていなかった事実であり、明治年間のアイヌ研究史の再考が必要となったことを示している。
|