研究概要 |
I.内務省衛生局と東京府,内務省衛生局と各県,東京府と各県の産婆行政に関する情報の流れ、その結果としての各県の産婆に関する布令達ならびに規則類の制定とその変遷を明らかにするために、史料の発掘と整理を行う。 II.東京府病院産婆教授所の教育方式の各県への伝播と定着の経緯を明らかにするために,産婆講習所・産婆教授所・産婆学校の所在,教育内容と教科書に関する史料の発掘,解読と整理を行う。 Iに付いて,「醫制」「産婆規則」制定までの山形県の産婆規則の制定と改正の経緯について史料収集を行った。第1段階は,明治九年「産婆営業規則」(明治九年十二月二十七日乙第三十九号)が制定された。「醫制」を踏襲した条文であるが,産婆志願者の年令を10才引き下げ,新規営業者のみならず従来営業者にも教育が必要としている。また、無鑑札営業を禁止して、醫制の実驗證書に加えて試験を行う資格制度を打ち出すなど山形県独自の見解も出されている。第2段階は,「産婆營業假規則」(明治十三年八月二十三日乙第百五十三號)が制定、同時に「山形県濟生館産婆教授所規則」と「山形県濟生館産婆生徒規則」(明治十三年九月六日乙第百六十五號)である。東京府病院産婆教授所の方式を踏襲した条文である。教育課程・教育方法・教育対象者を同所と全く同じ文面で明文化している。産婆試験を山形県知事が実施し,山形県濟生館病院医師および郡医を中心とした試験方法を確立し資格制度を樹立している。以上から,山形県に限定して言えば明治九年には醫制の影響を受け,明治十三年には東京府病院産婆教授所の影響を受け,比較的早い時期に教育制度・資格制度が成立していることが明らかになった。 IIに付いて,宮城県と山形県に関して史料を収集し,整理中である。
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