上記の研究課題について、本年度は当初の計画通り、嘉永〜文久年間を中心として行なった。嘉永〜安政期は、いまだ幕府権力は強大であり、したがって庶民の政治批判も比較的少なく、また鋭さに欠くものがあったといえよう。 図像の面よりみると、当時の錦絵は報道性と諷刺性を帯びてくる傾向にあった。安政2年(18 )10月、江戸で大地震が発生したおり、多くの鯰絵の刊行をみた。その詞書を丹念に読みこんでゆくと、世相を諷刺したものが少なくない。 また、広景画「青物魚軍勢大合戦之図」(3枚続)は、当時コレラ流行の時期であった為、食してよい青物と、食して悪い魚との争いであると、きわめて表面的な解釈が通説となっていた。 しかし、同錦絵を子細に検討すると、井伊直弼の家紋をはじめ、南紀派と一橋派の両派の有力大名は領地の特産物(例えば紀伊=密柑、尾張=大根など)でもって表現されている。さらに早稲田大学図書館所蔵の同錦絵の背面には、個々の青物・魚に比定された大名たちの名前、およびその理由が記されてあった。この新史料の発見により、本研究課題に新たな知見を加えることができた。(この新史料のほかにも、同錦絵はたんにコレラ流行期を表現するものではないことを傍證する史料も見出したことを、念のため付記しておきたい) なお、文久期の落首・落書についても調査中であるが、作者が必ずしも庶民とは言い難いものであるため、いまなお検討中である。
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