1.キリシタン布教(1)16世紀末に日本イエズス会は、巡察師ヴァリニァーノの方針により、村落単位の布教と村落祭祀の教会化を行い、河川に沿う流通交易路によって教線を拡大した。(2)豊臣・徳川政権のキリシタン禁令を契機に、民衆の慈善組織ミゼリコルジアに代わり、教会なき村落信者の信仰組織となったコンフラリアが各地に展開した。(3)豊臣政権の一方的貿易要求に抵抗したフィリピンでは、この地を基盤とする托鉢修道会が日本布教を強行し、コンフラリアの信者争奪などイエズス会との対立を惹起して幕府権力側からの迫害を誘発した。2.貿易体制(1)葡国王は、アジアの各航海路毎にカピタンモールを指名、都市支配権と貿易権を限時的に供与し、アジア海域での王権支配を維持した。(2)マカオ市は国王に対し、自治権及び貿易権の移譲と利益留保を要請して目的を達したが、都市経営と貿易の未分化の矛盾を露呈し、敵対する英蘭艦隊の妨害や日葡貿易の危機状況に対処する交渉力を喪失した。(3)各地駐在のイエズス会プロクラドールは、貿易商人との連携による商品・資金等の取引管理を行い利益を享受し相互依存関係を深める。(4)長崎の糸割符制により白糸市価が抑制され、英蘭の葡船拿捕等航行妨害によってマカオでは、ゴア、リスボンからの貿易利益の還流が中断、資金難から日本の投銀に依存し、利益率の高い高級織物を主体に転換した。(5)英蘭は平戸を葡船からの略奪貿易の補給基地としたが、蘭は台湾占拠後鄭一族と協調して生糸中心の正常貿易に移行、清の海禁令緩和によって中国船来航も増加し白糸市場は安定した。(6)幕府では葡貿易の投資利益から継続の意向も強かったが、将軍家光は独裁制への契機とし、キリシタン禁令を名目として葡船来航禁止を決定。この鎖国体制の本質は、蘭に貿易権を供与し蘭制海権を幕府統制下におき、日本船の航海能力、武装能力の限界を克服して、東アジア海域での航海権を把握するものと論じた。
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