さきに提出した研究計画調書にもとづき、東京都内、三重県中・北部、名古屋市内において、史料と文献の蒐集を行い、解読・分析作業をすすめた。これらの作業を通じて本年度中に明らかにした点は、以下の通りである。 1.尾張藩の鷹場制度のうち、現在最も研究が進んでいる江戸周辺地域の鷹場については、東京都区内および多摩地域において、史料・文献調査およびフィールド・ワークを行った。この結果、(1)尾張藩が、同藩の江戸周辺鷹場を、「御鷹場村々之儀者御料所又者他之御領分御知行ニ付、御国表御取扱与者御模様も相違仕候儀ニ付」(徳川林政史研究所所蔵「手続書」)と、自領がなく他領ばかりであるため、国元の鷹場とは扱いが異なると認識していたこと、(2)この認識にもとづき地域の有力者を鷹場預り役に任命することで鷹場支配を行っていたこと、(3)鷹場預り役は、近世前期の中世的系譜を引く有力農民から、近世後期には新たに台頭してきた豪農層へと幅を広げ、両者の間に緊張関係が生じていたこと、などの諸点が明らかになった。 2.三重県北部の北勢地域の尾張藩鷹場制度の実態を明らかにするために、三重県各地において史料調査とフィールド・ワークを行い、亀山藩領内に同藩鷹場が存在したことが明らかになった。 3.名古屋城下の鷹場制度については、「鸚鵡篭中記」をはじめ『愛知県史』『名古屋市史』などの解読をすすめ、鷹場のおよその範囲を確定するに至った。 以上、1〜3の作業を通して、尾張藩が3か所の鷹場それぞれに藩独自の支配権を行使していたことが明らかとなったが、職制の細部などについては、なお今後の課題となった。今年度の研究成果は、今後学会誌・研究報告書などを通して、順次発表していく予定である。
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