「厳島文書」という好個の史料に恵まれた安芸国は、平安後期〜鎌倉初期の政治過程を地域レベルで把握しうる希少な事例として、つとに注目されてきた。近年はこれに新しい史料研究の方法を駆使した成果も加わり(山田渉「安芸国高田郡司とその所領寄進」、『史学雑誌』第90編1号、1981年)、文書の真偽をめぐる問題にみられるように、議論は細密さを増す一方で、錯雑化の恐れもなしとしない。本研究では、ひとまずこうした「厳島文書」の真偽論は措いて、できるかぎり平明で安定感のある歴史像を描き出すという、いわば原点に立ち戻った叙述を心掛けながら、清盛が、あるいは頼朝や義経が活躍した激動の時代を、安芸国可部の地に生きた一人の人物(源頼綱)を通して照射し、内乱期へと傾斜していく安芸国の政治情勢を跡づけた。そこでは、安芸国衙在庁がたどった政治的な軌跡を"正常"から"異常"さらに"非常"へというキーワードで捉え、「地頭」の性格もそうした状況に沿って読み取るとともに、"非常"の事態へと変化していく治承4年(1180)8月頃に平氏軍制の重要な画期を想定しうることを明らかにした(研究発表欄参照)。しかし、本研究の目的を最終的に達成するためには、真偽を含めた「厳島文書」論の検討は避けて通れない。それに備えて、小杉榲邨編「徴古雑抄」所収の厳島文書(国立史料館収蔵)の原本調査ならびに写真撮影を行い、さらに「毛利家文庫」所収の中世文書(山口県文書館収蔵)の蒐集、関係地域の県史・市町村史類を始めとする基本図書の購入など、西国における荘園公領制と領主制の総合的な研究に向けての準備を終えた。
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