記録・典籍などの諸史料から、滝口の創設された9世記末から摂関・院政期に及ぶ範囲で滝口に補任された人々を検出する作業を行った。次にこれらのうち、特に摂関期に属する人々(のべ73名)の出自を調べ、また滝口として具体的にどのような職務に従事したのかを考察した。 その結果、まず出自についてみると、当初の予側通り奈良時代以来の軍事貴族ないし平安初期以来顕著な活動をみせる軍事官僚の氏に属し、弓馬・相撲等の武芸に長じた職能人としての「武士」の多いことが明らかとなった。職務についてみると、かれらが「武士」であるにもかかわらず物理的な武力の行使を期待されていた形跡のみえないことが注目された。すなわち、当該期の滝口に要請されたのは物理的な武力による内裏警固でも天皇の護身でもなかったことになる。これは当時の天皇が暗殺やクーデターから超越した存在であったことを反映したものとみられ、滝口に課せられたのは、天皇を見えざるモノノケ・邪気・ケガレから守護するという役割、すなわち鳴弦に象徴されるような「辟邪の武」という呪的威力にあったということになる。 従来の武士論は領主制論と職能論の二側面から研究されてきたが、本研究は職能論的武士論による有効性を示す成果をあげることができた。すなわち、「武士」とは一体何なのかという基本的な課題に対して、従来の東国武士(暴力的な武士)を武士の典型とみる見方に再検討をせまるデータが検出されたからである。この研究成果は「摂関時代の滝口」という論文にまとめ、福田豊彦編『中世の社会と武力(仮題)』(吉川弘文館)に収録して公表の予定である。また11の研究発表欄に記載した論文は本研究の過程で得られた資料に基づくものである。今後、院政期以降の滝口、地方武士の滝口祈候などについても継続して研究をすすめて行きたい。
|