本研究について以下のような成果と問題点を指摘できる。 1.大阪府婦人団体連絡協議会(府婦協)の実態を把握した。大阪では戦前からの女性運動家が中心となって1945年11月9日に新日本婦人会が結成され、翌46年6月5日には日本主婦の会が創設された。主婦の会などを含む53団体で'48年には大阪婦人団体協議会がつくられ、'50年2月4日に府婦協が結成された。府婦協の加盟地域女性団体は、'52年度301団体(約18万人)、'54年466団体(約24万人)であった。 2.元大阪市社会教育課婦人教育係長水木モリエ氏の聞きとりをおこない、次のことがわかった。GHQが自主的地域婦人団体の育成を指示し、50人以上の団体ではいけない、旧国防婦人会の役員をいれない(実質的には新団体の役員にしない)という条件もあり苦心したが、PTAの女性役員に呼びかけ、自主的グループが結成されていった。'49年にはリーダー養成講座を実施した。地域によっては、自主的婦人会と日赤奉仕団婦人部との対立がみられた。 3.第1回全国婦人教員研究協議会(婦研協)との関係を知ることができた。日本教職員組合主催の第1回婦研協が'52年3月に大阪で開催されたが、これは大阪教職員組合の婦人部が提案したもので、水木モリエ氏が助言していた。婦研協は後に母と女教師の会を呼びかけた。 4.戦後初期の地域女性団体の会員は、その後の移動などもあり、アンケート調査は思うようにはかどらなかった。中心的に活動していた人については何人か聞きとりをおこなったが、層として把握して分析するにはいたらなかった。 以上のことについて、史料紹介をおこなう予定で、投稿を準備中である。
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