研究概要 |
本研究では「秦帝国の形成と東アジア世界」のテーマで二つのオリジナルな成果をまとめることができた。一つは「秦始皇帝と徐福伝説」の分析によって,秦帝国から海を超えて東アジア世界への広がっていった移民の動きを象徴する徐福という人物について,従来混同されがちな史実と伝説とを明確に区別できたことである。われわれのもっとも信頼できる徐福の史料は秦の同時代のものではなく,王朝が交替した前漢時代の司馬遷が記述した『史記』である。従来の観点は,秦始皇帝から百年後の史料であるから史実しか書いていないというというものであった。しかし本研究では出発点からそのことに疑義をはさみ,司馬遷の時代に多くの始皇帝伝説がとくに秦帝国の形成時に支配された東方六国では生まれ,徐福伝説もその一環であることを主張した。『史記』秦始皇本紀と淮南伝の記事の背景を徹底して分析し,山東琅邪中心の徐市帰還伝説と淮南寿春中心の徐福不帰還伝説の並存を自説として提示した。二つは後世の三国時代以降の「秦始皇帝と徐福伝説」を東アジア世界を視野に入れて分析するなかで,秦帝国の権威の遺産が帝国崩壊後も生き続け,徐福伝説がさらに再生産され,東アジア全体に広がっていったことを明らかにできたことである。後漢三国以降は不帰還伝説の方が一人歩きし,東アジアの海を舞台に活動した移民集団が,それぞれの時代と地域において自らの権威として徐福伝説を再生産していったのである。伝説では徐福の渡航先が沿海から東アジアの海を渡り,佐賀,新宮などの日本各地に行き着いたといえるが,その伝説の背景は個々に見極めていかなければならない。この問題は秦帝国の時代の東アジア世界ではなく,各時代の東アジア史のなかで考えていかなければならない。
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