研究概要 |
秦代および後世の東アジア,環東海地域における秦伝説,秦文化伝播の分布の状況を整理することは本研究の基礎作業であった。朝鮮半島に残る伝説については,秦韓伝説(秦の労役を避けて韓国に亡命してきた子孫が辰韓を建国,言語も秦人に似ているので秦韓ともいう),済州島の徐福伝説などが知られているが,今回は十分な考察はできなかった。日本国内では佐賀,和歌山新宮市(徐福墓),熊野市などの関係遺跡を調査することができた。特に弥生時代後期の大規模な環壕集落である吉野ヶ里遺跡からは,大陸の秦文化と関わるものが見られる。二千基の甕棺群は遺体を密封し,内側に水銀朱を塗っている点から不死を意図する思想から生まれたものと指摘されたり,独特の亀甲型の巨大墳丘墓(前1世紀)も大陸の方墳の影響が議論されており,中国史の立場からも興味ある遺跡であった。北九州に限られている秦の貨幣半両銭の出土状況,朱塗り甕棺の分布状況などを確認し,徐福上陸伝説との関係を考え,また弥生稲作遺跡の分布や伝播経路と徐福が五穀の種子をもたらしたという伝説との関係も重要である。富士吉田神社に伝世する銅印など徐福に関わる伝世はそのほかの各地にも数多くあり,それらを一つ一つ検証することはできなかったが,各地に残る徐福伝説の背景については,伝説と史実との関係について考慮しながら,伝説の背景にあるものを歴史科学的に分析することの重要性を認識した。昨年別に四川,雲南省で調査した秦帝国と西南夷諸国との関係は,秦帝国と東アジア世界の関係と対比的に見ていくと,興味深い事実が浮かび上がってくる。徐福と類似する伝説は中国西南地区にもあり,〓王伝説,南越王伝説との類似性が注目される。いずれも秦帝国の周辺への移民によって現地で王に即位した伝説であり,この二つの伝説は考古学的にも検証されているので,徐福についても一つの方向をさぐることができる。
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